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About Mayor Hahn - Japanese

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ジム ハーン経歴

ジム ハーン市長は、2001年の市長選挙に当選後ただちに犯罪率を低下させ、我々の地域の生活レベルを向上させる活動に取り組み始めました。ハーン市長の統率下、幾千の地域やビジネスの指導者達がロサンゼルス市向上の為に協力してきました。

ハーン市長の総合的な犯罪対策の鍵はロサンゼルス市警の地域治安維持活動プログラムを再建し、市警と市警が仕える地域がより強いつながりを持てるようにすることでした。ハーン市長のより多くの警察官を路上に配置するという積極的な努力により、ロサンゼルス市警の警察官数は4年ぶりに増加しました。現在、地域の住民は警察官と協力して暴力犯容疑者の逮捕を導くなど地域の安全がさらに向上するよう働いています。これらの努力の結果、ロサンゼルス市全体の暴力犯罪の件数は2年間で18%減少しました。

ハーン市長はビジネス指導者たちを募り、全米で認められた「LA’s BESTプログラム」が

追加45校5500人の子供に追加で提供できるよう、その拡張資金を集めました。現在このプログラムでは、合計120校、2万人以上に上る生徒に放課後の貴重な時間帯に安全かつ教育的で楽しい場所を提供しています。

ハーン市長は我々を保護する警察官や消防隊員がテロ攻撃の対応に必要な装備や訓練の確保に向けて地域の指導者と取り組んでいます。ロサンゼルス市が提唱する我々の地域の学校、宗教施設、オフィスビル、給水施設、そしてその他の重要な場所を防護するプランは今や全米のモデルとして使用されています。9.11テロ攻撃後初の大陸横断民間航空機の乗客となったハーン市長は、全国の市長を召集し、空港警備を形付ける特別調査団として働くよう呼びかけました。

サクラメントの政治家が地方資金を吸い上げていた為にロサンゼルス市が警察官や消防員、そして救急医療隊員の雇用を増加することができなかった問題で、ハーン市長は陣頭指揮をとり、他のカリフォルニア諸都市と共にその是正を訴え戦いました。ハーン市長は、サクラメントによる毎年1億ドル以上のロサンゼルス市の税金の吸い上げを廃止する条例の交渉の一端を担い、2004年11月には、何百万人ものカリフォルニアの有権者達によって圧倒的な支持を得ました。

ハーン市長にとって、住民のために清潔で健全な環境を保つことも重要な問題です。空気と水をきれいにするために、彼は市の電力・水道局がクリーンエネルギーの使用を増やしていくように意欲的なゴールを設定しました。また、ロサンゼルス市がユタの石炭工場に投資する計画を中止し、その資金は、クリーンエネルギー源の開発のために使われるようにしました。ハーン市長の統率下、ゴミ収集車や清掃車などの市行政に使用される交通車両が、空気汚染をより少なくするハイブリッドやクリーンエネルギー車へと変化を遂げました。

ハーン市長は、毎年市内25個所の最も危険で渋滞の多い交差点を改良するという公約を実行し、100万人以上のドライバーのために交差点をより安全なものにし、交通渋滞を減らしました。彼の新しい「ストリートスマート」プログラムは、市内35ヶ所の最も込み合う道路の交通量を減らすことを目標にしており、この計画が成功すればロサンゼルスのドライバーの年間約1500万時間以上を節約することになります。

近隣住区委員会のプログラムを通して、ハーン市長は、それまでこのような活動に関与していなかった人も含めて、たくさんのコミュニティの指導者をサポートしてきました。また、ハーン市長は、市の近隣住区委員会と連携しそれぞれの区域における優先事項を特定し、記録的な水準で

道路の改良を行い、それぞれの近隣住区委員会が年間最大5万ドルを運用資金や区域内のプロジェクト運営の為に使用できるように、市の予算を設定しました。

ロサンゼルスにより多くのビジネスを呼び寄せるために、ハーン市長は市の中小企業を対象とした事業税を削除しました。また、地域のビジネスと提携し、成人が現在の経済社会で必要とされる技能を学べる職業訓練の場を増やしました。ロサンゼルス地域商工会議所とは共同で、賞も受けた、「キャッシュ フォー カレッジ」というプログラムを運営し、22,000人を越える学生が大学進学のための学資援助を利用することができました。ハーン市長は、経営者が住宅の入手しやすさを重要な基準としてビジネス経営の場所を選択することに注目し、住宅開発業者と、ハウジングアドボケートと共に1億ドルという全米で最高額を誇る住宅信託基金を設立しました。

ハーン市長は、ロサンゼルス南部、クレンショー地区で育ち、マンチェスターアベニュー小学校、ダニエルフリーマン小学校、ホレースマン中学校、そしてルテラン高校へ通いました。ペパーダイン大学では英語を専攻し、BAの学位を取り卒業しました。彼は在学中、虐待を受けた女性のために禁止命令を得る奉仕活動を行っており、そのような体験が法律への興味につながり、同ぺパーダイン大学で法律の学位も獲得する結果となりました。現在は家族と共に、サンペドロに住んでおり、彼の2人の子供は地元の公立の学校に通っています。

市長選挙以前、ハーン市長は16年の間(1985—2001)ロサンゼルス市選弁護士として働き、4年間(1981—1985)の市会計検査官としての経験があります。市の主任検察官として着任している間、ギャングの暴力を抑制するため画期的な方法をとる、違法に銃を流通させている製造業者を訴える、維持管理ができていないためスラム化しているアパートの所有者をみずからそこに住ませる、たばこ業者が子供を対象の販売とするのを防ぐために働きかける、たばこ反対発議権を自らの資金で支持する、徒歩で通学する子供達の安全を確保するため、保護者やボランティアを訓練するためのプログラムの実行など様々な活動を行いました。

ハーン市長は公益事業の大切さを自らの父親であるケネス ハーンより受け継ぎました。彼はロサンゼルス郡管理委員会に十回当選した記録があり、ハーン市長の妹であるジャニスも現在ロサンゼルス市議会のワッツーサンぺドロ地区の議員をしています。息子であるジャクソンは小学校の

生徒会長をしています。